結局才能ある若者に努力を食いつぶされる

自己啓発の世界でさんざっぱら聞いてきた言葉

「あなたが地道な努力・見えない努力をしているうちに結果を出せないと文句を言う人が去っていく。いずれその道を歩くのはあなただけとなり、あなたは成功者として他人から評価される。努力を続けられなかった人たちからあいつは才能があるんだとねたまれる側に移る」

もちろん詳細な文言はもちろん違うしふわっとした記憶の元書いた文言ではあるがこんな感じに続け続けることによってあなたは勝利者となれるよって話。最高に不愉快だなと思う日々が増えてきた。隣を歩いていたやつ、前を歩いていたやつは結果を出せないと文句を言いながら消えていくかもしれないけど、後ろから若い奴が全力疾走で追い抜いて私が求めていたゴールないしポストを奪っていく可能性を考えないのかと思っているんだ。私が座りたかった席に若い奴に早々と座られたら私は立ち尽くすことしかできなくなり、いずれ去っていく。そしたら私も敗北者の仲間入りかい?諦めたほかの人たちと同じだというのかい?


自己啓発は好きでした。才能がないとわかっている私でもあれをやれば、これをやれば私も先頭に立ち前に誰もいない景色を眺めてその優越感、後ろから私を追い抜かんとする方々の威圧感それぞれを感じて楽しくなるんだろうなと。でも結果は残酷なもので、私が一歩進んだと思ったら才能のある若者が三歩進む。三歩ならまだましだ。現実は十歩二十歩?いやもっとかもしれない。それに打ちひしがれて立ち止まればもっと進まれる。回復して再び一歩踏み出したと思ったときにはもうその若者はどこにもいないんだ。
もしかしたら知らないうちに勝手にくたばってこの道から降りてくれたのかもしれない。でもそれを調べる術なんてない。そしたら私にできるのはその若者は私のはるか先で成功をつかみ私の座りたかったポストで挑戦者を迎え撃つ立場になっていると考えるしかないんだ。

成功者は言う「あなたにしかできない武器を見つけろ。既存のもの単品だとあなたは数多の挑戦者の一人かもしれないが、既存のもの×既存のもの×………と発想を組み合わせればいずれその席はあなたしかいない。ゼロイチでものを生み出す必要はないんだ」と。

いや、それを誰が求めているの?もちろん求めている人が出てくる発想も多くあるのは分かる。それができないから平凡な敗北者。数多の挑戦者の一人にしかなれないんじゃないか。
それに需要があるかどうかは他者に聞いてみればいい、一度試作版を作って体験してもらえばいいだと?それを実行する技術や行動力がないから私はそっち側に行けないんじゃないか。

求めることに意味はもうないのかもしれない。ただ、静かに暮らす。
生物の歯車に溶け込むために平凡になることすらできない私は弱者として子孫を残すこともできずネットの海に自身の無能の嘆きを放り投げることしかできないんだ。

せめて人生で一度は彼女を作って遊園地デートなんかしてみたかったし、クリスマスのイルミネーションに静かに興奮したかったなあ。自分のために笑顔を向けてくれる女性はどこにいるんだろう。上司と部下の関係、取引先の関係、よくいくコンビニやスーパーの店員と客の関係、そうじゃない。金銭を介さない、愛情を介して私に笑顔を向けてくれる女性はどこにいるんだろう。
もしくはもう私はそういうことを言うのは恥ずかしい歳なのかもしれない。

金銭もといビジネスにおける成功も子孫繁栄における成功もすべて才能のある若者にとって代わられてしまった30代はどこに向かって歩き続ければいいんだ。

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